レビュー・象徴天皇の実像

昭和天皇の実像を「昭和天皇拝謁記」宮内庁長官田島道治の記録から見る、天皇の肉声、拝謁記が書かれた時期、読みどころ、天皇を位置づける準備作業、著者は原武史、早稲田大学政治経済学部卒業、日本経済新聞社に入社を経て明治学院大学名誉教授、放送大客員教授、専攻は日本政治思想史、著書「昭和天皇」他

概要

天皇観、退位もありと考えていた、退位しな九州に対するいと再び立場を変えるおことばでの決意表明、過剰警備に批判、巡行と一般参賀、天皇の象徴観、教育勅語はあった方がよい、政治・軍事観、天皇の民主主義観、政党政治に対する不信感、保守政党の大同団結を提言、議席ゼロになっても安心できない共産党、後期水戸学のキリスト教認識との類似点、朝鮮人学校はつぶした方がいい、再軍備は絶対に必要、戦米国の前・戦中観、時勢には逆らえない、張作霖爆殺と満州事変、日中戦争と太平洋戦争、米軍は空襲の標的を定めていた、条約の信義を重んじたから戦争終結が遅れた、ソ連参戦が戦争を終わらせた国土観、どこまでが日本の範囲か、北海道に対する認識、九州に対する認識、沖縄に対する認識、内灘や浅間山を米軍に提供すべき、外国観、米国の評価すべき点、米国の批判すべき点、天皇の英国観、天皇のソ連観、天皇の中国観、天皇の朝鮮半島観、人物観1ー皇太后節子、意見が違う、虫の居所によって違ったことをいう、時流におもね・話し上手を好む、皇太后が見た天皇、怖くて宮中服の廃止を言えない、蚕糸業視察はやめてほしい、大正天皇との仲が悪かった、皇太后の遺書の謎1-家宝とは何か、皇太后の遺書2-秩父宮への言及と10月22日という日付、ケガレに厳格人物観2-他の皇族や天皇、皇后をどう見ていたか、皇太子明仁に対する不安、秩父宮に対しては同情的、戦後も変わらない高松宮との対立、三笠宮は我がままに育った、正人親王がキリスト教の信仰をもってもよい、少ない明治天皇と大正天皇への言及、人物観ー3政治家・学者など、マッカーサーとの会見、吉田茂に対する相反する感情、鳩山一郎と岸信介に対する批判、近衛文麿よりも東条英機を評価、南原繁・清水幾太郎・平泉澄への否定的な評価、神道・宗教観、皇大神宮のアマテラスによる神罰、祖宗と万姓に愧じる、宮中祭祀は宗教ではないが宗教性はある、明治神宮と靖国神社、キリスト教への改宗の可能性、御寺では礼拝はせぬ、空間認識、皇居は移転せず・御文書をそのまま使う、皇居前広場を活用すべき、赤坂御用地と新宿御苑、那須御用邸・沼津御用邸・葉山御用邸、軽井沢と箱根、東京大学・京都大学・結核療養所、お召列車という空間、拝謁記から浮かび上がる天皇と宮中、天皇は何を信じていたのか、イデオロギーとしての反共、関連資料から浮かび上がる1960年代の宮中、昭和天皇が残した負の遺産、昭和天皇拝謁記を考察、

感想

昭和天皇拝謁記の読みどころを記載、退位、巡幸、教育勅語、政党政治、反共、再軍備、時勢、満州事変から太平洋戦争、日本の範囲、米・英・ソ観、人物観、宮中祭祀、皇居と御用邸、を語る、

まとめ

昭和天皇拝謁記とは何か、天皇観、政治・軍事観、戦前・戦中、国土観、外国観、人物観(皇太后、皇族、政治家、学者)、神道・宗教観、空間認識を考察、象徴天皇を語る、

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