日露戦争についてのいくつかの問題と歴史的原因を立証可能な形にしたもの、著者は朝河貫一、1948没、東京専門学校(早稲田大学)卒業、イエール大学で博士号取得、イエール大学教授、「the russo japanese conflict its causes and issues]を英米両国で出版、本書は日本語版、
概要
衝突に関するいくつかの問題、1日本側・農業から工業へ移行・日満韓の利益共同体、2ロシア側・比較・政治的問題・要約、シベリア鉄道、遼東半島の返還、沿海州とサハリン、1895年の三国干渉、その歴史的重要性、日本への影響、カシニ―協約と鉄道協定、露仏借款と露清銀行、同盟協定、カシニ―協約、1896年9月8日の鉄道協定と12月23日の法令、膠州、膠州強奪と1898年3月6日の協定、イギリスの行為、旅順港と大連湾、旅順港のロシア艦隊、英国の大連湾開放のための要求、旅順港と大連湾・英国政府とロシア政府、威海衛、1898年3月27日の協約と補足協定、租借地の統治とダルニー、ヘイ国務長官の門戸開放通牒、1899年9月の1899年9月の通牒、列強の返答、満洲占領、北清の義和団の乱に対するロシアの態度、満洲遠征、北清と満洲、満洲に関するロシア外交の特徴、北清と満洲との区別、1900年8月25日の通牒、英独協定、北部鉄道事件、1900 年10月16日の英独協定、列強の見解、ドイツの見解、暫定協定・アレクセーエフ・増祺協定、北京での講和交渉とロシアの満洲政策、1900 年11月のアレクセーエフ・増祺協定、列強の抗議、ラムズドルフ伯爵の説明、出発点-ラムズドルフー楊儒協約、ラムズドルフ-楊儒協約、清国の訴えと列強の抗議、ロシアが列強連合から離脱、1901年3月の修正、英国と日本の抗議・そしてロシアの要求撤回、さらなる要求、8月のレッサールの要求、10月の要求、抗議と返答・遅延、日英同盟と露仏宣言、同盟締結前の日英間の共感の高まり、締結に向けた外交の歩み、1902年1月30日の協約、3月16日の露仏宣言、撤兵の協定「満洲還付条約」、1902年4月8日の露清協定、文書の分析、撤兵、最初の撤退、1902年10月8日、撤退の名目上の性格、7か条の要求、1903年4月5日・新たなロシアの要求、要求に対する3列強の反対、ラムズドルフ伯爵の否認カシニ―伯爵の声明、北京での駆け引き、韓国をめぐる外交闘争1、ソウルでの日本の失敗とロシアの成功、王妃暗殺、国王の逃走、6月6日山県ーロバノフ議定書と1896年5月14日の小村-ウエーバー覚書、ロシアの影響力の後退、1898年4月25日の西ーローゼン議定書、韓国をめぐる外交闘争2、パヴロフと林権助、馬山浦事件、失敗した融資、ソウルのロシア人と親露派韓国人、紙幣の混乱、カイザーリングの捕鯨権益、豆満江の電信線、京義線、龍岩浦事件、日露交渉1、1903年7月28日、日本の交渉招請、ロシア政変と極東総督、8月12日最初の提案、交渉は東京に移る、10月3日、ロシアの最初の対案、北京でのロシアの駆け引き、龍岩浦事件へ発展、日露交渉2,10月30日、日本の第2提案、12月11日、アの第2対案、12月23日、日本のl第3提案、ロシアの平和宣言、1904年1月6日、ロシアの第3対案、満洲に開かれた新港、1月13日、日本の第4提案、ロシアの軍事行動、2月5~6日、交渉の終了と外交関係の断絶、最初の戦争行為、2月10日、ロシアの声明とと日本の宣戦布告、補足事項、2月18日、ロシアの声明、2月20日、ロシアの声明、3月3日、上記への日本の回答2月22日、韓国の中立状態に関して、ロシアの列強への通牒、3月9、日本への返答、3月12日、ロシアの返答、清国の中立状態と韓国の完全性、日本による清への中立勧告、清国独自の宣言、日本の清国に対する誓約、日韓同盟、その本質の分析、
感想
日本は工業製品の販路、ロシアは領土拡大、遼東半島返還、カシニ―協約と鉄道、膠州強奪、旅順と大連、満洲占領へ進展、列強・日本の抗議、日英同盟と露仏宣言、満洲撤兵、韓国をめぐる外交闘争、日露交渉、1904年・ロシアの軍事行動・交渉終了・宣戦布告とロシアの声明、満洲撤兵は限定的、韓国にまで伸びたロシアに外交闘争、日露交渉決裂・宣戦布告を辿る、本著作はアメリカの世論を日本支持に転換させた、
まとめ
衝突に関するいくつかの問題、遼東半島返還、カシニ―協約と鉄道協定、膠州、旅順港と大連湾、ヘイ国務長官の門戸開放通牒、満洲占領、北清と満洲、英独協定、暫定協定・アレくセーエフー増祺協定、出発点-ラムズドルフー楊儒協約、さらなる要求、日英同盟と露仏宣言、撤兵の協約・満洲還付条約、撤兵、7か条の要求、韓国をめぐる外交闘争、日露交渉、補足、清国の中立状態と韓国の完全性を考察、遼東半島返還から日露戦争に至る経過を解説、