レビュー・凍てつく川を越えて逃げる

1920年から30年代にかけて国境のアムール川を秘かに超えハルピンにやってきた、ドイツ難民の歴史を辿る、著者は鈴木健夫、早稲田大学名誉教授、著訳書「ロシア・ドイツ人―移動を強いられた苦難の歴史」他

概要

メノー派とは、非暴力・無抵抗を掲げたオランダの宗教運動、源流は再洗礼派、オランダからドイツ北部、そしてウクライナへ、1オランダからドイツ北部へ、逃避、西プロイセンで農業、信仰と戒律に縁どられた暮らし、2ドイツ北部からウクライナへ、ロシアの入植誘致、ロシア政府代理人の来訪・視察人の派遣、いよいよウクライナ南部へ移住、ウクライナでの生活、3良き時代ー19世紀半ばまで、メノー派の入植地、村での生活、人口増加、経済白書、改革者コルニースと農協、4ロシア化政策・産業発展・反ドイツ人感情、クリミア戦争、農奴解放と国民皆兵性ーロシア臣民、兵役代替の森林労働義務、アメリカに移住していく人たち、産業の発展、反ドイツ主義・感情、5苦難の時代、第一次世界大戦、社会主義革命,マフノ軍・赤軍と戦うー自営団結成、1921年から23年のウクライナ大飢饉、スターリンの圧政とメノー派移民の抵抗、6スターリンの圧政とメノー派移民の抵抗ー西シベリアの状況、ウクライナから西シベリアへ、スターリンによる圧政―穀物徴発、クラーク(富農)絶滅農業集団化、反宗教政策、ドイツ人農民の抵抗、7モスクワ経由の北アメリカ移住に立ちはだかる困難、8凍てつくアムール川を越えてハルピンへ、アムール川を越える、ヤコブ・ノイフェルト一家の逃亡、1929年3月30日、女子学生アンナとミアの逃亡、1930年7月7日、シュマフノカ村の全村逃亡、1930年12月、ウスリー川を越えたルター派の逃亡、ハルピンでの生活、再移住先、新しい世界のへの移住、9ハルピン難民のアメリカ移住-ヤコブ・ノイヘルト一家1930年9月から11月、10ハルピン難民のパラグアイ・ブラジルへの出発ーフランスから出航、1932、34年、11パラグアイとブラジルにおける入植活動、パラグアイ、ブラジル、

感想

激しい迫害を受けた再洗礼派、信仰をまもるためオランダからドイツ、西プロイセンで農業を営み信仰生活、兵役義務課せられロシアからの入植誘致、ウクライナ移住、コルニースにより経済と教育改革で安定化、ロシア化と国民皆兵制、西シベリア強制移住と土地収用、スターリンの圧政と飢餓、選んだ道は国境のアムール川を越えハルピンに向かう逃亡だった、信仰を守るため国境を越え避難先に向かう再洗礼派の足跡を追う感動のドラマ、

まとめ

再洗礼派(メノー派)が迫害を受けオランダからドイツ北部、そしてウクライナへ、ウクライナでの安定した暮らし、スターリンの圧政によりアムール川を越えハルピンへの足跡を辿る、

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