レビュー・東京美術学校物語

吉田千鶴子の「芸大百年史」の記述を尊重しつつ東京美術学校の波乱万丈の歴史を追った、著者は新関公子、東京芸術大学大学院修士課程修了、東京芸術大学名誉教授、著書「ゴッホ・契約の兄弟ーフィンセントとテオ・ファン・ゴッホ」他

概要

日本はいつ西洋と出会ったか、漢訳洋書輸入解禁、蘭書、日本人の遠近法理解、幕末明治の西洋体験ー高田由一の場合、ジャポニスムの誕生、江戸幕府パリ博へ参加、フランス画壇の状況ー印象派誕生前夜、ジャポネリズムとジャポニスム、欧化を急げ、ウイーン万博参加とお雇い外国人ワグネル、万博と浮世絵、唐突な工部美術学校の開校、女子も学べた、ラグーサと清原玉、反動としての国粋主義の台頭、龍池会の誕生、フェノロサと岡倉の出会い、美術真説を読む、油絵との比較、狩野芳崖を発見、日本美術縦覧会失敗、狩野派改良の絵画指導、美術学校設立内定とフェノロサ・岡倉の欧米視察図画調査会、国立美術学校の内定、帰朝報告、原田直次郎の批判、国粋的美術学校の理念確立に向けて、芳崖はフェノロサ・岡倉の手、イデア論の延長ー慈母観音、成立過程、背後で泣いた洋画家たち、五姓田一族と山本芳翆、開校された美術学校、お古の建物、授業の革新性と受講生の作品、公共モニュメントの受注製作、シカゴコロンブス博、図案科・西洋画科の開設と岡倉の失脚、人事ー紛争の火種、選科、岡倉失脚、連袂辞職、1900年パリ万博参加、パリ博の美術学校関係者の出品と受賞、浅井忠、黒田の智・感・情、正木直彦校長時代の30年と7ヶ月、日本画科、西洋画科、文展の創設と反文展、在野美術団体の誕生、交友会、その他の出来事、学生の思想取締や退学、和田英作校長時代の4年間、横山大観の怒り、改革と主な出来事、矢代幸雄の貢献、和田校長辞任、画家としての和田英作、戦時下の東京美術学校とその終焉、自画像、画壇の状況戦時下の教師ー藤島武二、国粋主義者・横山大観、野望、東京芸術大学へ、

感想

波乱万丈の東京美術学校、欧化と国粋主義・戦争に揺れる日本美術の葛藤史、

まとめ

日本はいつ西洋と出会ったか、ジャポニスムの誕生、欧化を急げ、反動としての国粋主義の台頭、美術学校設立の内定とフェノロサ・岡倉の欧米視察、国粋的美術学校の理念の確立にむけて、開校された美術学校、図案科・西洋画科の開設と岡倉の失脚、1900年パリ博への参加、正木直彦校長時代の30年と7ヶ月、和田英作校長時代の4年間、戦時下の東京美術学校とその終焉、西洋との出会いを考察、欧化と国粋主義、戦時中を考察、波乱万丈の東京美術学校物語、

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