千宗旦「江岑宗左茶書」出版にあたった原田茂弘が、新しい伝承資料を用いて新しい利休論を執筆したもの、著者は熊倉功夫、東京教育大学大学院博士課程修了、日本文学史専攻、MHO MUSEUM館長国立民族学博物館名誉教授、著書「茶の湯の歴史」他、原田茂弘、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学、日本文化史専攻、おもに茶道史、表千家不審菴文庫主席研究員・茶の湯文化学会理事、著書「茶書は語る」他、
概要
千利休研究の歩み、千利休と「江岑宗左茶書」、若き日の千利休、1千利休の登場、誕生、家族、祖先、千阿弥、家業、念仏差帳日記、堺の町衆、風景、絵図、自由都市、国際都市、
町衆の文化、連歌、茶の湯の流行、山居、数奇、茶の湯、数奇へ、珠光、わび茶、茶会記、2修行時代、与四郎の茶会、北向道陳の弟子、堺数奇者物語、堺鑑と南方録、紹鷗に庭の掃除を命じられる、露地、木の葉ぎわじんじんと、金をちりばめた串柿、紹鷗・一客一亭で与四郎をもてなす、利休茶会、珠光への敬慕、宗易の法諱、天王寺屋宗達を招いた茶会、紹鷗の他界、3堺における茶の湯活動、津田宗達の茶に招かる、三好実休、三日月の茶壷、実休・のぶながに休より茶碗を買う、建盞の茶碗、圜悟の墨蹟、北向道陳の他界、利休と道、手桶の水指、松永久秀の茶に招かる、利休の客としての地位、利休の客ぶり、堺衆の世帯交代、利休と宗及、利休と宇治の茶碗神林、武野宗瓦を茶に招く、天下人の茶堂、1織田信長と千利休、信長の入京、名物狩り、茶道具の価値、利休逼塞、墨蹟を引き裂く、利休の目利、仲直りの茶会、天王寺屋道𠮟、大燈国師の墨蹟を掛ける、信長の茶堂として出仕、茶堂衆、松井友閑、信長と宗及第点、茶の湯、51歳の時に円座肩衡を手に入れる、投げ頭巾より円座肩衡を選ぶ、肩衡としりぶくらの茶入れ、古渓宗陳が大徳寺に入る、信長に鉄砲の玉を送る、宝心妙樹の他界、利休と宗恩、佐久間信栄の堺下向、御茶湯御政道、秀吉の茶会、秀吉と利休の交流、大徳寺門前の屋敷、小庵の上洛、ハタノソリタル茶碗、2豊臣秀吉と千利休、信長の動向、家康の堺下向、本能寺の変、茶室「待庵」の造営、二畳敷の茶室、室床とにじり口、胎内くぐり、待庵と朝鮮半島の民家、待庵にみる利休の茶の思想、古渓の墨蹟を掛ける、秀吉の茶堂、大阪城の茶会、道具揃えの茶会、橋立の茶壷、利休の狂歌に見える橋立、山里の茶室、天下一の茶人、1禁裏茶会、織田信雄と利休、常信は茶の湯上手、織田有楽、禁裏茶会、秀吉・菊見の間で正親町天皇に茶を献じる、利休・端の座にて茶を点てる、天下一の茶堂、利休居士号、内々の儀は宗易、秀吉の側近、宗易形の茶碗新たな茶碗の創造、長次郎の茶碗と今ヤキ茶碗、2北野大茶湯、66歳の利休、神谷宗湛に合う、宗湛を茶に招く、秀吉の島津氏征伐、筥崎宮燈籠堂での利休茶会、道安の茶会、利休の聚楽屋敷、色付九間書院、北野大茶湯、茶会の準備、宗易形の釜、堺衆への参加を呼び掛ける、大茶湯の当日、秀吉・茶席を廻る、一日だけの大茶会、小堀遠州のみた利休、秀長と利休、阿弥陀堂釜、宗旦の記憶、利休道具の流行、古渓送別の茶会、鋭いはげしい茶会、古渓想望の茶会台子の茶の湯、まわし飲み、作法としてのまわし飲み、晩年の千利休、1千利休と大徳寺、大徳寺に山門を寄進、大名に応援を求める利休の権勢、一忠了専の50回忌法要、2小田原従軍、北条氏征伐、山上宗二の死、園城刃寺の花入れ、武蔵鐙の文、3利休百会記、利休百会記にみる利休の茶会、利休百会記の信憑性、利休百会記の客組、武将との交流、利休のわび道具、高麗筒の花入れ、利休百会記にみえる唐物、4千利休切腹、大徳寺山門事件、堺へ蟄居を命じられる、辞世の句、利休自刃、売僧の頂上、千利休の自刃をめぐって、利休自刃の根本にあるもの、新しい価値観の創出、世間の評価山上宗二の利休批判、利休の茶の湯と人的基盤、千利休と現代、千利休が遺したもの、茶の湯は総合芸術か、利休の想像力、利休の料理革命、利休の方法、多様な利休の読み取り方、
感想
利休研究に「江岑宗左茶書」を採用、ありのままの利休像を追求、茶の湯流行、山居、数奇、与四郎の茶会、露地、利休の客ぶりに注目、天下人の茶堂、信長と秀吉、天下一の茶人、禁裏茶会と北野大茶湯、大徳寺山門事件で自刃に至った利休の権勢とは何だったのかを考える、
まとめ
若き日の千利休、天下人の茶堂、天下一の茶人、晩年の千利休、利休の自刃をめぐって、千利休と現代を考察、利休の茶の湯確立と信長・秀吉の茶堂、禁裏茶会と北野大茶湯、そして大徳寺山門事件で自刃までを辿る、武士と利休で茶の湯を芸術まで高めた、