レビュー・戦後」日本経済史

日本が沈没するまでの過程の分析が中心、著者は野口悠紀雄、東京大学工学部卒業、大蔵省入省、イエール大学Ph・D(経済学博士号)現在は一ツ橋大学名誉教授、専門は日本経済論、著書「情報の経済理論」他

概要

焼け跡からの復興、1最初の記録、東京大空襲、2私たちは生き延びた、3いまはなきキャメロット、4劣悪だった生活環境、奇跡の高度成長、1所得が5年で倍になる、2一変した生活環境、3高度成長を支えた1940年体制、4大蔵省で1940年体制の実像を見る、日本が先進国の仲間入りをする、6アメリカ留学で学者への道を選ぶ7石油ショックを克服した日本、世界一の日本とバブル、そして崩壊、1ニクソンショック、プラザ合意、金融緩和、2)1980年代日本の夢のような豊かさ、3ジャパン・アズ・ナンバーワン、4バブルの時代、5バブル崩壊、6山一・長銀の破綻、7バブルに翻弄された人々、1995年、日本病の始まり、1)1995年に成長率が屈折、2バブル崩壊が日本病の原因か、3)1995年に終末論が日本を覆う4人口構造が変化した、5世界の大きな変化に対応できなかった日本、中国工業化とデジタル敗戦、1中国工業化とデジタル敗戦が、日本停滞の真の原因、2中国工業化の影響が日本に及ぶ、3日本の輸出シェアが低下、4日本は、経済構造の改革を拒否した、5IT革命が始まった、6日本がIT革命に対応できなかった理由、7スタンフォード大学でIT革命の始まりを見た、8日本は新しい世界に対応できなかった、外需依存成長からリーマンショックへ、1製造業の落ち込みに円安で対処しようとした、2米住宅価格バブルと日本の外需依存成長との密接な関係、3リーマンショックは重大な警告だった、4円安が解決策だとする考え広がる、5円安依存で企業が技術開発くを怠った、6円安依存の風潮に強い危惧を抱いた、日本の製造業は、垂直統合と官主導で衰退した、1世界的水平分業の進展2垂直統合に驀進した日本の電機産業、3官主導で衰退した日本の製造業、国策会社の失敗1、エルピーダメモリ、ルネサンスエレクトロニクス、大規模金融緩和で、日本の劣化が進んだ、1手ぶらで誤った方向に歩き続けた異次元緩和、2大規模金融緩和の本当の目的はなんだったのか、3YCCという非正統的手段に転換、4放漫財政を正当化したMMT,5)2020 年からの異常な円安で、インフレが輸入された、6物価高騰で消費が減る、7誤りを10年間修正できなかった、8金融緩和からの撤退、賃金が、30年間も上がらなかった、1その昔、所得倍増の時代があった、2賃金が長期的に停滞した原因は、分配率の低下ではない、3賃金の動向に顕著な変化が生じている、4実質賃金が上がらないのは、生産性が向上しないから、5インフレ下で利益が増加し、賃金分配率が低下、6消費者が賃上げを負担している、老いる日本が負う過去の成功の重み、1生産年齢人口の減少が引き起こす問題、2社会資本の維持、過去の成功の重みをいま負う、3予防保全なら補修できるが、万全ではない、4老いる日本で必要なのは、生産性の向上、世界トップだった日本の競争力は、いま世界最低に近い、1世界競争力ランキングに見る日本の劣化、2いまや、日本は世界38位、3日本のデジタル競争力は、世界31位、4日本のエライ人たちの国際感覚は、世界最低、終わりが始まりである、1日本は出発点に戻った、2終わりが始まりである、

感想

東京大空襲から奇跡の生還、1950年から高度経済成長、生活環境一変、オリンピック東京大会、プラザ合意、日本企業が世界のトップを独占、バブル、1995年に頭打ち、人口伸び率、世界の変化、中国の工業化とIT革命、円安依存の日本企業、リーマンショック、水平分業と垂直統合、異次元金融政策で放漫財政と消費減少、賃金が30年上がらない、社会資本が耐用年数を迎える、日本の凋落、先進国から滑り落ちる可能性を分析、焼け跡時に戻った、

まとめ

焼け跡からの復興、奇跡の高度成長、世界一の日本とバブル・そして崩壊、1995年、日本病の始まり、中国工業化とデジタル敗戦、外需依存成長からリーマンショックへ、日本の製造業は垂直統合と官主導で衰退した、大規模金融緩和で、日本の劣化が進んだ、賃金が30年間も上がらなかった、老いる日本が負う過去の成功の重み、世界トップだった日本の競争力は、いま世界最低に近い、終わりが始まりであるを考察、焼け跡に戻る、

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