エルサレムはユダヤ教・キリスト教にとって聖都であったばかりでなく、イスラーム教徒にとっても信仰の中心、分断都市エルサレムの歴史を辿る、著者はマーティン・ギルバート、オックスフォード大学名誉フェロー、2015年没、著書「ユダヤ人の歴史地図」他
概要
眠りから覚めた古代都市・1900-1909、ゲットーよりも薄汚れた聖都、ユダヤ国家のヴィジョンと現実、内側から見たエルサレム、青年トルコ人革命の余波、異国情緒に彩られた町、抗争の始まり・1910-1914、エルサレム再建は近い、ユダヤ人大学構想と使用言語論争、熱狂的なロシア巡察団、シオニストにやられる前に、第一次世界大戦1914-1917、英国の策動とトルコの反発、来年こそはエルサレムで、オスマン帝国の退場、英国軍による征服1917年12月、白旗を掲げたエルサレム市民、アレンビー将軍・聖都へ無血入城、シオニストと正統派ユダヤ教徒の対立、英国の軍政統治1918ー1919、建設熱心な征服者、シオニスト委員会の多難な船出、バルフォア宣言の行方、不協和音のなかで1920ー1921、自衛団「ハガナー」誕生英首相ロイド・ジョージの固執、植民地相チャーチルのエルサレム訪問、過激派ムフティの登場、英国委任統治・最初の6年、1922ー1929、ニュータウン建設、デ・ハーン謀殺事件、ヘブライ大学とキブツ開設、1929年の暴動、アラブ人の襲撃、暴力行為の正当化とユダヤ人ボイコット、全体主義の影1930ー1936、共産主義の戦時洗礼ムフティの反ユダヤ・プロパガンダ、ヒトラー政権成立によるドイツ系ユダヤ人移民の急増、1936年の暴動とその余波、アラブ人は聖地のユダヤ化には同意しない、ランボールド卿の異人種発言、ピール委員会のパレスチナ分割案、ムフティ・ナチスと結託、英国の二心ある裏切り、第二次世界大戦1939ー1945、駆け込み寺エルサレム戦争は終わったが、騒乱の町1945ー1947、フィッツジェラルド計画の挫折、キング・デーヴィッド・ホテル爆破事件、国連・パレスチナ分割決議案採択、アラブ人の分割反対闘争、狙撃・刺殺・投石の日常化、断末魔の英国委任統治1948年1月ー5月、戦場と化した聖都エルサレムを捨てる人、ディル・ヤシンの殺戮、アラブ人村の破壊狙われたハダサ護送隊、すべてが余りにもひどい、二週間戦争1948年5月14日-29日、こっそり逃げ出した委任統治政府、戦火の中の独立宣言、アラブ軍団のエルサレム侵攻、ハガナー奮戦、棒切れでだってお前らに勝てた、ビルマ・ロードの建設、再生への道のり1948年6月―1949年12月、つかのまの平和、国連調停官ベルナドッテの暗殺、銃声のなかでのコンサート、エルサレムかテルアヴィヴか、二都物語1950ー1967、ヨルダン人パレスチナ・アラブ人の反目アブドゥラ国王の暗殺、近くて遠い旧市街、分断された都市、ヤドヴァシエムの建設、アイヒマン裁判、名物市長テディ・コレックの改革、六日戦争1967年6月、世界中に流されたナセル大統領の電話われわれは兄弟だ・われわれは兄弟だ、嘆きの壁で号泣するイスラエル兵、高揚ムードあふれる統一エルサレム、再統合・最初の二年1967ー1969年、爆破された東西の壁、実効なき国連決議、われわれは蟻のようにここにいます、調和を求めて1970ー1980、聖都の景観論争、贖罪日戦争、サダト大統領のイスラエル訪問、合併からインティファーダまで1980ー1989、エルサレムのゆゆしき愚行、私はエルサレムのアラブ人でなくてよかった、インティファー勃興、最後に石に当たるとは、エルサレムにはたくさんの顔がある、アツラーフ・アクバル、エドワード・サイード教授のエルサレム帰還、パレスチナ暫定自治「原則宣言」」調印、イスラーム教徒にとっての民主主義ラビン首相暗殺、
感想
オスマン帝国の小都市、ユダヤとイスラムの聖都、解放した英国、シオニスト運動はアラブの反発、英国委任統治下でエルサレム攻防戦にエジプト・シリヤ・ヨルダン軍侵入で分断都市化、停戦後人口増加・50万都市、イスラエルのラビンとヨルダンのフセインによるエルサレム再統一、お互いに棲み分けをおこなっているが、東西住民の交流はない、イスラームの世界秩序に組み込むを拒否する者は聖戦の対象となる、
まとめ
眠りから覚めた古代都市、抗争の始まり、第一次世界大戦、英国による征服、英国の軍政統治、不協和音のなかで、英国委任統治、最所の六年、1929年の暴動、全体主義の影、1936年の暴動とその余波第二次世界大戦、騒乱の町、断末魔の英国委任統治、二週間戦争、再生への道のり、二都物語、六日戦争、再統合、最所の二年、調和を求めて、合併からインティファーダまで、エルサレムにはたくさんの顔があるを考察、オスマン帝国から英国委任統治、シオニスト運動と反発のアラブ、暴動化とエジプト・シリア・ヨルダン軍侵攻、分断都市からラビンとフセインによるエルサレム再統一、互いに棲み分けたが東西交流はない、50万人の都市、