兵範記と保元の乱、公家の日記、兵範記について、平信範について読む、著者は元木泰雄、京都大学大学院文学研究科博士課程研究指導認定退学、京都大学名誉教授、2024没、著書は「院政期政治史研究」他
概要
摂関家への奉仕と鳥羽院政期の政情、中宮藤原聖子と家政、1中宮権小進信範、2所宛と中宮の職員、3諸社への奉幣、美福門院得子と平忠盛、1鳥羽院の后たち、2藤原得子の栄進と鳥羽院の出家、3美福門院の殿上始と平忠盛、藤原師長の元服と家政機関、1信範の活動、2師長の生涯、3師長の加冠、4家政機関職員の補任、5他の諸儀式、忠通・頼長の相克、氏長者藤原頼長の誕生、1東三条殿の接収、2忠通義絶の背景、3頼長の藤原家成邸追補事件、仁平二年の前半、1仁平二年正月の出来事、頼長の朱器大饗、3先人の遠忌、4鳥羽院五十後賀と基実の公卿昇進、仁平二年六月以降、1検非違使の仁和寺立ち入り、2天皇に忌避される頼長、仁平三年の前半、1基実との軋轢、2奉公春の死去、3悪左府の濫行、仁平三年の後半、1非蔵人源頼盛の子の元服、2忠実・頼長と播磨守顕親、3頼長の法成管理と吉仲荘、仁平四年の前半、春日祭上卿兼長2文章生信義、3相次ぐ没収、仁平四年の後半、1藤原兼長の右大将就任、2延暦寺の頼長呪詛、3白河御塔供養・藤原光房の死去・為朝濫行、保元の乱前夜、久寿二年前半、1正月の出来事、2頼長」一行と平信兼との闘乱、3春日祭上卿師長、4頼長北政所幸子の死去、近衛天皇の死去、1信範身内の不幸、2近衛天皇の死去、3王者議定と後継天皇、頼長の失脚、1呪詛された近衛天皇、2忠通室の死去と守仁の立太子、3高陽院の死去と葬儀、久寿三年前半、1藤原基実の権中納言拝賀、2鳥羽院の重病、3鳥羽院・後白河天皇方の動向、鳥羽院の死去、1鳥羽院の臨終と治世、2鳥羽院の葬儀後白河天皇方の挑発、1平氏一門の動向、2頼長に対する挑発、3東三条殿の没官、保元の乱の結末、崇徳院・頼長方の軍勢、1崇徳院の白河北殿御幸、2崇徳・頼長陣営の武士、3後白河方の軍勢招集、後白河方の軍勢招集、後白河天皇方の勝利、1後白河方の出撃2合戦の推移、合戦の決着、乱後の処理、1合戦後の措置、2敗者の降伏、忠実領の処分と氏長者、1謀反人忠実、2氏長者の受諾、敗者の運命、1頼長の最期、2配流と処刑、保元の乱後の摂関家、1基実の権大納言就任、2信範の少納言任官、内乱と血管家、1保元の乱後の苦難、2基実の艱難と死、3平清盛と摂関家、4平氏の滅亡・摂関家の混乱、兵範記を読む、
感想
平安末期の武士は貴族政権に強固に把握されていた、貴族政権から武士政権が分立する、緊張感をもった史料との対決から生まれる政治史、
まとめ
摂関家への奉仕と鳥羽院政期の政情から、中宮藤原聖子と家政、美徳門院得子と平忠盛、藤原師長の元服と家政機関、忠通・頼長の相克から氏長者藤原頼長の誕生、仁平二年の前半、仁平二年六月以降仁平三年の前半、仁平三年の後半、仁平四年の前半、仁平四年の後半、保元の乱前夜から久寿二年前半、近衛天皇の死去、頼長の失脚久寿三年前半、鳥羽院の死去、後白河天皇方の挑発、保元の乱の結末から崇徳院・頼長方の軍勢、後白河天皇方の勝利、乱後の処理、忠実領の処分処分と氏長者、敗者の運命、保元の乱後の摂関家、内乱と摂関家を考察、日記から読み解く保元の乱、